山で動物に遭遇すると緊張しますよね。
声が小さくなったり、身動きを止めたり。
それってどうしてでしょう?
恐いから?
それとも騒げば動物が逃げてしまうから?
それだけではない気がします。
あれは6月頃だったか、夕方の、軽井沢の参道を車で走っていた時の話です。
霧があたり一面を覆い、見通しが効かない通りを20キロくらいで走っていました。
すると、手前数メートルのところに大きな影が!…鹿でした。
野生の鹿をこんなに間近で見たのは初めてでした。
ヘッドライトの灯で、まるで白い湯気をまとったようなその体は、尚更大きく見えた気がします。
私は息を吞みました。鹿の大きさに圧倒されたから…だけではありません。
沈黙に…
鹿を介して放つ沈黙に、ただただ耐えていました。
私たちは人と接する時、その人の外見と発する言葉には差異があることが分かっているので、内面にも注意して接します。しかし、動物は、外見がそのまま内面を、内面がそのまま外見を映します。その代わり、沈黙を発しています。
その沈黙は、ネット動画に出てくるような柴犬のような愛くるしさを感じる沈黙もありますが、多くの場合、特に自然の中で接する動物たちからは、緊張感があります。
自然は人間にはコントロールが出来ない存在で、時に緊張感を伴います。ひょっとして動物は、自然の沈黙の代弁者なのかもしれません。
自然の中で動物にバッタリ遭遇。しかし遭遇しているのは動物ではなく、動物が自然の沈黙を連れてきたという緊張感なのではないでしょうか。
その時あなたらなら何を思いますか?それとも沈黙に身を委ねますか?