となりのトトロに対する私の見方は、コロナ以降変わりました。
トトロって、そもそも妖精?森の守り神?動物?どれも当てはまるかと思いますが、
ひっくるめて「自然そのもの」ということなのでしょうか。
野山とかを表す意味の言葉で「自然」があります。
昔の日本人は、例えば家とその後ろの山を見て、「あの自然は美しい」というとき、
家(人工)と山(自然)、という分け方ができず、家も含めて自然、と捉えていたそうです。
日本人にとって、もともと自然は自分たちと分け隔ての無いものでした。
なので、日本人は、natureという言葉が大陸を渡ってきたとき、nature=自然と捉えられず、
”nature=野山などの自然と訳す”ことを日本人の隅々までが理解できるようになったのは、戦後になってから
だそうです。
そこでトトロの話に戻ります。
福沢諭吉は、natureとnaturalを「自然」と翻訳しましたが、
トトロ=自然=natureとnaturalの二つの意味がある
ということを意識して映画を見てみますと、また違った面白みがでてきました。
・子供は、身体的にも内面的にもnaturalであり、それはnatureなので、サツキとメイには自然そのものであるトトロが見える。
・コマに乗ったトトロに、メイは真っ先に抱きつくが、サツキはすぐには抱きつかない。サツキの大人になっていく、naturalから離れていく過程や葛藤があり、現にあのシーンを境に、サツキの表情はより笑い、赤ん坊のように泣くような表情で描かれているように見える。それは、トトロというnatureに触れたことで、naturalさを取り戻したように。
・夜の庭に現れたトトロが、サツキとメイと一緒に木を生やすシーン。あのシーンでお父さんは、そよ風ととともに、なんとなくトトロの存在を感じるシーンがあります。都会から来たお父さんにとっても、トトロという自然はより近くに感じる、感じたい存在だったのではないか。
(他にも様々なシーンでnatureとnaturalを感じるシーンが見られます。皆さんもぜひ探してみてください。)
そして、雨のバス停のシーンです。
バスが来るがお父さんは乗っていない。不安…。
そこへ、となりからトトロ(=nature)が自然(=natural)に現れます。
このシーン。雨の日、暗いバス停で、もし後ろから現れたらどうでしょうか…怖くないですか?
あくまで”となり”からです。
同じnatureでも、後ろから急に来たら怖いですね。
コロナのように。
独立衛生探究者てんさん